講和55年 復帰35年 4・28辺戸岬集会アピール
 今日4月28日、サンフランシスコ講和条約から55年目を迎えた。そして来る5月15日には祖国復帰を成し遂げて35年目を迎える。

 私たちは今日、この辺戸の地に集った。それは、ノスタルジックにひたるためでも、沖縄の内実を憂うためでもない。

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約第3条によって、米国そして直接的には米軍の植民地的支配下におかれ、人権は蹂躙され、民主主義は存在さえしなかったと言っても過言ではない屈辱的な状況下におかれた。

 それでも県民は闘った。平和憲法の祖国日本は遠くにありながらも、その平和憲法が示す「平和的生存権」を自らの力で獲得していった。

 人権を返せ。民主主義を返せ。沖縄を返せ。人間を返せ。と。米軍支配下の28年は重く苦しい歴史だけではなく、県民が平和憲法に還る希望をもった歴史的な大衆運動であった。

 しかし、しかしである。沖縄祖国復帰は、平和憲法の享受ではなく、日米安保がまたしても県民を米国から日米両国の鉄鎖につないだ。

  県民の訴えた「即時・無条件・全面返還」は到底叶えられず、時の首相、佐藤栄作が約束した「核抜き、本土並み返還」さえ反故にされたままとなっている。

  巨大な軍事基地は、復帰後35年もの間、県民に襲いかかり続けている。「基地あるが故の被害」は後を絶たない。

  そして今、米軍再編の中で、沖縄基地はさらに機能強化、永久化が図られようとしている。

  私たちは今日、米軍再編による日米軍事強化・一体化、沖縄基地をはじめとする在日米軍基地を必ずや撤去させ、基地のない平和で豊かな沖縄を実現させるために集った。

  先輩諸兄が闘ってきた歴史、祖国復帰闘争碑文は私たちにこう語りかける。  「1972年5月15日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された しかるが故に この碑は 喜びを表明するためにあるものでもなく ましてや勝利を記念するために あるのでもない 闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確かめ合い 決意を新たにし合うためにこそあり」と。

  私たちは今日、新たに決意する。  米軍再編による辺野古への基地建設など沖縄基地の機能強化、固定化を断固阻止し、日米軍事強化・一体化、日本の軍事大国への道を許さず、戦争放棄と非武装の平和憲法を発展させていくことを誓う。


2007年4月28日

講和55年 復帰35年 県民屈辱の日を新たな闘いの日へ 4・28辺戸岬集会

 




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